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★「断捨離通信」6 だんしゃり Danshari   家の中でため息をついてませんか?      断捨離1   2    3    4    5

『新・片づけ術 断捨離』  

                                       
                                                                        
「断捨離」(だんしゃり)
とは、ヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」をもとに生まれた言葉。
断=入ってくる要らないモノを断つ
捨=家にはびこるガラクタを捨てる
離=モノへの執着から離れ、ゆとりある”自在”の空間にいる私

つまり、「家のガラクタを片づけることで、心のガラクタをも整理して、人生をご機嫌へと入れ替える方法」。
「そうじ」をしたり、モノを捨てたりすると、なぜか心も軽くなる、というのは誰もが経験していること。 
「断捨離」とは、皆が漠然としている「そうじ」や「片づけ」を再定義し、自分の「内在智」(心や体を快方向に導くセンサー)を磨くための行動へと落とし込んだメソッドです。 
結果、自分の心をご機嫌に、ついでに運気も向上させてしまおうという方法論でもあります。 義務感を伴う「片づけ」から、自分の内在智や運気を磨く「断捨離」へ。

「離の章」   「親からの卒業・その7・・・自分の根底の浄化」  「親からの卒業」というタイトルも7回目。

親とモノ、自分とモノ、親のモノと自分、自分のモノと親、そして、自分と親・・・
これらは、いったい何を教えてくれ、何をもたらしてくれるのでしょう。

ある受講生さんが、こんな断捨離日記を公開して下さって。
転載しますね。
ここまでくると、完全に卒業(^_^)v
卒業どころか、恩返し・・・親孝行の域です。


◆連休に、実家に帰ってきました。 

目的は実家の断捨離。 

以前は6人で生活していた実家は、今では両親と弟の3人暮らし。 
空いた部屋は物置と化し、モノに溢れた空間になったのです。 
前からモノは多かったけど、生かされていないモノが多くなりすぎちゃったのね。 

今はもう住んでいない私や妹、祖父母の私物を処分し、
今、生活している 両親や弟が、
今、使いたいモノ、生かすことのできるモノだけに厳選していく作業を
手伝ってきました。 

お気に入りでも量が多すぎると、その存在すら忘れてしまったりする。
可愛そうに使ってもらえないモノたちからは「さみしい」って声が 
聞こえてきそう。 

実家の断捨離は発掘作業のようだった。 

9割が使っていないものだということに、住人たちは気付いて愕然。 

でも断捨離する姿はかっこよかったよ。 
とっても潔かった。 

燃えるゴミは30袋を越えてたね。 

私も実家に置いてきたモノを処分することができてスッキリ。 

「実家にモノを置いたままにすることは、仏壇にゴミをつっこんでいるのと同じ」
・参照「お仏壇に・・・」http://danshari.at.webry.info/200704/article_17.html

この言葉にドキってしたの。 
ホントに失礼しちゃってました。 
申し訳ない。 

実家の気がグンと上がるのを感じた。 
風通しが良くなり、キレイな空気と共に良い気の流れが入ってくる。 

実家の断捨離は親孝行でもあり、
自分の根底を浄化することにもなったんだろうな~って思うと、
とても清々しい気持ちになった。◆ 


両親の住空間を快適にするお手伝いが、念願かなって実現。
素敵です。

受講生さんの笑顔、実家のご家族の笑顔が、目に浮かびますね~(^^♪

これを読んでいるあなた、
処分を先送りにして実家に保存、いえ放置、忘却のかなたにあるモノたちを、
断捨離したくなりませんでしたか!?!

善は急げですよ!
でもその前に、自分の住まいの断捨離が済んでから・・・やはりね!!!                                                    3-14-11

「親からの卒業・その6・・・視点の変化がやってくる」 モノを溜め込む・・・・

淋しいのか、
自分が好きではないのか、
自信がないのか、

「モノが溢れている状態」が、快適ゾーンのような、
いえいえ、モノが少ないと淋しさが、強調されような気がして・・・
いつのまにか、夥しいモノの山の中に、沈んでいる自分。
不要・不適・不快なモノとわかっていながら、
捨てることが受け入れられない自分。

そんな状態で、体調もすぐれず気分の落ち込みも激しかった受講生さん、
断捨離を始めて、少しずつ笑顔を取り戻してきています。

片づけられない自分を責めている人に共通するのは、
親との関係が未処理というか・・・
親に褒められていない、言い換えれば、
親に認めて欲しがっている幼ない自分が、
心の奥底に住んだままのような・・・

大人になって、親にもの言う自分になった時、
後ろめたさにも似た感情が、親のなにげない言葉にも、
過剰に反応して口げんかばかり。
ましてや、自分でうんざりしているモノの溜め込み癖は、
母親の資質を受け継いでいるからなんて、
思っただけでも、おぞましく。


前回のブログを読んだ受講生さんから、こんなメールをいただきました。
この受講生さんも、夥しいモノの中で、ずっとずっと苦しんできて。

◆受講してからずっと捨てる事をなぜ受け入れられないのか、考えていました。
親からの卒業を読んで、胸が熱くなり涙がでました。

自分を大切にしていない事を受け入れられない自分
自分ばかり悲しくて相手の事を思いやれなかった自分 
モノたちも、大切に扱ってあげられなかった自分

捨てることを受け入れられなかったのは、
そんな自分を受け入れたくなかったから。

あまりにもすべてのことを大切にしなさすぎて、
申し訳ない気持ちでいっぱいです。

これを読んで母との会話を思い出しました。 
冷蔵庫の中の傷んだ食品を見て、
「こんなに沢山買って腐らせて、なんで捨てないの?」
と、母に怒鳴ってしまった事がありました。
主婦になり、やっと母の愛に気付きました。
傷んでいたおかずは、父と妹そして私の大好きなおかずばかりでした。

そのころは喧嘩がたえなくて、一緒にご飯食べるのが嫌で、
なるべく食べないようにしてました。
いつも残り物を食べる事が多くて食事が苦手でした。

母も私も、ずっとモノづくりに携わってきて、
大変な思いで作ってきたからこそ、その思いがわかるからこそ、
その思いを感じすぎて、傷んでも、腐っても、必要なくても、捨てられなかった。

断捨離に出逢えて、今まで辛くで向き合えなかった自分や、
自分の「気持ち」に対して真剣に向き合えるようになった気がしました。
今の私は、「気持ち」から断捨離していく事が必要なんだと、気づきました。
だから、捨てられない、片付けられない自分を、責め過ぎるのは、もうやめます。
いつも「気持ち」には、真剣に向き合っているのだから…
私のペースで断捨離します。

これまで判断がつかなかったモノたちも、もう手放そうと思えるようになりました。
「今まで有り難う」と手放したら、手放していけますよね?
きっとできる!と信じて断捨離に、取り組みます◆

受け入れられない自分の有り様が、母親の中にかいま見えた時、
自分への怒りが、親への怒りにすり変わる・・・

そこに気づいたら、もう本当に、親から卒業できるのでしょう、きっとね。
親も自分も、責めることは、もう必要のないことだから。                                                  3-5-11


「親からの卒業・その5・・・もう間近かでしょう」 断捨離を続ける本当の理由。

男性の受講生さん、この方は結婚を控えた若い方。
周囲どころか、自分さえも驚くくらい、住まいのアパートも、実家も、職場も、
徹底的にモノを片づけ整理して。

なぜ、こんなにまで?

結婚して名実ともに親元を離れる自分、
親の会社を継がずに転職しようとしている自分。
そう、立つ鳥後を濁さず・・・そんな心境ゆえの徹底断捨離。
なにもかもスッキリさせて、新たな道を進む決意を促がしていたからこそ。

そんなふうに、感じてた。

確かに、そうだ。
でも、この受講生さん、もっと深いところに気がついた。
繰返す断捨離で、ずっと「自分を大切にしてこなかった自分」に気がついた。

親の価値観に、知らず従っていた自分。
親の価値観に、応えてない自分、それを「後ろめたさ」として抱えている自分。
親の前で「良い子」を演じながら、と同時に、親の価値観と格闘している自分。

もっと自分を大事にしたいから、
もっと自分を大事にするために、
こんなにも断捨離をしていたんだ・・・

断捨離は、自分がどんどん好きになっていくプロセス。
断捨離は、潜在意識を喜ばすプロセスです。

この受講生さんの言葉を借りれば、
「今では、頭が心を無視していたことが多くて・・・」そんな自分から、
「断捨離は、ハートに理性が従う感じで・・・」こんな自分へ、変化するプロセス。

彼からのメールの最後は、こんなふうに結ばれていました。

「自分で自分を大事にしてこなかった反動から、
エネルギーが生まれていた気がします。
子は親から計り知れない影響を受けるものなんですね。
そんな反動もだいぶ落ち着きましたし、親からの卒業も、もう間近かでしょう。」

卒業おめでとう!
そして、なにより結婚おめでとう!!!                                                 2-23-11

「親からの卒業・その4・・・人生も親もいろいろです」   新聞の投稿覧・・・
60代の女性が、「捨てない主義」と題して、こんな投稿を。

◆捨てない主義、レンジは39歳◆

◆6人いた家族が亡くなったり結婚や就職で離れたりして一人暮らしになった。
古い家には使わない物があふれている。

蔵には父や祖父が使った農機具やお膳類、
屋根裏部屋にはそれぞれの教科書や制服、
たんすには父と夫のスーツと母の着物・・・・・・。
私が元気なうちに処分しておかないと子供たちが困ることになるとは思うが、
なかなか手がつけられない。

物は壊れないと捨てられない主義である。

大きく重い電子レンジもその一つ。
結婚した1969年に買って以来39年、台所の一角を占めている。
帰りの遅かった夫や子供たちのためによく働いてくれた。
軽く使いやすいレンジに買い替えたらと、
大勢の人たちに忠告されるが手放し難い。
亡き夫と買った時の情景もしっかりと覚えている。
寿命を全うさせたやりたいと思う◆

39年前の電子レンジが、現役で活躍してるなんて。

この投稿への感想も様々だと思う。
それこそ、いろいろだと。

このレンジが、経年劣化・老朽化ゆえに火を吹くことなどないように・・・
その他諸々の溢れるモノが、埃とともにカビなどにまみれていないように・・・
過去の品々が、現在のこのご婦人の健康と安全を損なうことのないように・・・

私の感想は、これくらいにしておこう・・・


先日、セミナーにご参加下さった受講生さんのお母さんは・・・

手先が器用で、なんでも作る、作れるお母さん。
家には、いつもリサイクル・リメイクするための材料がいっぱい。

が、加齢とともに、手づくりのペースも落ちてきて、
家はいつの間にかモノで溢れるように。

ある時、ひとり暮らしのこのお母さん、「忙しい、忙しい」と言いだして。
娘さんは、訝った、なにでそんなに忙しいの?
ひとりで呑気に暮らしているはずなのに!?

お母さんは、「あんたのために、あんたのために忙しいのよ」と。
えっ、私のため?この受講生さんは、さらに解せない。
離れて暮らしているから、離れて暮らしているからこそ、
母親の手を煩わせるようなことは、何もしていないのだから・・・

数年を経て、お母さんが病気で入院することに。
そしてこの時、母親が忙しいと言っていた理由がわかる。

お母さんは、自分ひとりで、家を徹底的に片づけていたのだ。
あんなにあったモノは見事に処分され、蔵にあった不要物も綺麗さっぱり。
日用品も最小限、電気製品はテレビのみ、沢山あった衣類も着物箪笥1棹に、
まとめられていた。

お母さんは、退院することなく亡くなられた。
お葬式が済み、遺品の整理をする段になって、「あんたのため・・・」という意味もわかった。
お母さんは、娘が、思いのいっぱい詰まったモノで苦しむことのないように、
もう主のいなくなったモノに縛られることのないように、
元気だったあの時に、出来るかぎりのことを自分にしてくれていたんだと。

母の思いに、いっぱいいっぱい泣いて、でもそれは感謝感謝の涙だったと。


こんな体験を話してくれた受講生さんも・・・

父親が臨終を迎えた。
でも、泣いているどころではない。

頭をよぎったのは実家の惨憺たるありさま、夥しいモノの山また山。
親戚が、弔問客が集まる前に、なんとかしなくては!!!
姉夫婦と自分と夫、4人が必死になって、階下のモノを2階に押し上げ、
二間続きの和室の畳が見えるようにした。
それはお通夜の間も続き、父の亡き骸に寄り添うヒマもない。
もうそれでクタクタのヘロヘロ・・・お葬式では、4人とも朦朧としていたとか(..)

人生、親も、そして、自分も、いろいろです。
まだまだ、このまんまでは、死ねませんわ、私も(^^ゞ


ぷれしゃすさんの断捨離日記スタート

http://precious.hida-ch.com/e74023.html

先週末・飛騨の断捨離セミナー受講生さん、モチベーションを維持するためにと、
断捨離実践録を、ご自身のブログに。
どうぞ、皆さんもぷれしゃすさんと、体験を共有して下さいね(^^♪

                                              2-13-11 

 「親からの卒業・その3・・・」  親からの卒業というターニングポイントを迎えている受講生さん、
傘100本の受講生さん・・・前回、前々回をお読み下さいねm(__)m

この受講生さん、当初、6畳の自分の部屋は、割とモノは少ないと思いきや・・・
あらためて断捨離してみると、ごみ袋10個分の不要物を発掘したとか。

押入れひとつにしても、いくらでも、モノは詰まっているものです^^;
その後、ゴミ溜めと化している<彼女いわく>親のテリトリーにいよいよ進出。


彼女の断捨離日記をご紹介しますね。

◆昨日は台所など進出しましたが、親が『触らないで、捨てないで』と騒ぐ騒ぐ! 
ラックなどに空間ができたら『場所が空いちゃったじゃない、どうするつもり?』と
逆ギレされて、その空間に他のモノを置かれてしまいました<苦笑 >

空間が出来ることになんでそんなに抵抗するのだろうか・・・? 
もったいない、とモノを溜め込み、空間すらももったいない、という感覚か? 

ケンカ状態だったので、親が寝静まってから再開しました~。 
しばらくは真夜中のだんしゃり☆を楽しみます。◆


ご両親と口喧嘩しつつ、怒りの感情満載でモノを捨てながら、
なんだろう?この怒りは?思いながら、この受講生さんの断捨離は進みます。


◆お蔭で朝から大ゲンカですよ~。
父が大事にしてた貴重な何かの人形、捨てちゃったみたいです!
ほこりとダニカビに埋もれてたんだけどね。 

父は支配的すぎて子供の頃からコミュニケーションは
ほとんどなかったんですよ。 
今頃になって、捨てる前には一言確認しろっとか怒鳴られても、
それ以前の問題かな~と思う朝でした。 
子供のころからそんな事すら怖くて話しかけたこと無かったからなあ・・ ◆

◆そのうち、母も山のような父の荷物を、「こんなの要らない」と言って 
少しづつ捨て始めました。 
昭和の良妻賢母のような母、もしかしたら亭主関白な夫への抵抗が 
ふつふつとわきあがっているのかも・・・? 

まだ父だけは息まいて『触るな!捨てるな!動かすな!』と 
叫んでおりますが<笑>

父はまたその両親からの観念、呪縛から逃れていないようにも 
見えてきました。 
祖母が結構強烈な人だったからな~<苦笑 >

だんしゃりを通して、家族との関係がより良くなるように、 
家も文字通り風通しよく、すてきな空間になるように、 
がんばる気力が湧いてきました。◆


自分の中の怒りの正体が見えてきて・・・
「親の支配への抵抗」かも・・・と理解が進んできて・・・
自分で自分の感情が受け入れられてきて・・・
親のことも、少し受容できて・・・


そして、頂いたのが先日のこのコメント。

◆今玄関を確認したら6本、玄関戸棚内に7本ありました。
随分と減りましたでしょ~笑!!
でも私がやったんじゃないんです。
狂ったように物を捨てる私に感化された母が、
あれ以来玄関の傘を管理していますよ。
増えると捨てる。ま、増やすのは父ですが。

傘は母に任せましょう。
やはり親のテリトリーは親に管理してもらうのが自然なようです^^
最近は自分の部屋が元に戻ってきてるので、今日は久々にやるぞ~!!◆


「断つ」のでもなく、「捨てる」でもなく、少し「離れた」ところから、
親と向き合えるようになったようです。

「傘100本の」受講生さんの断捨離、あらたなステップに入りましたね(^^♪
                                               2-6-11
                                                                                            1

 「親からの卒業・その2・・・」  人は、モノを使って、存在や主導権や縄張りを主張するのですね。

あらためて、つくづくと、感じることがこれ。

自分とモノとの関係は、間違いなく、自分と自分、自分と他者との関係が、
絡んでます・・・


モノを溜め込み、いっこうに手放すことをしない親。
モノに埋もれて、動こうとしない親。
モノを片づけると、怒り出す親。

そんな親との同居生活に、少なからず難儀している受講生さんを、
ご紹介させたいただきますね。


◆昨日は、やんや文句を言われながらも、8畳ほどの居間、
・・・居間とは言えない、父所有の書籍などで溢れ返る居間・・・
から、15袋位のゴミ袋を出した。 

とはいえ、8畳に本棚が4つと棚二つ。中は書籍等でまだびっちり。 
空いた壁際には本棚に入りきらない目録などの本が並べてある。 

真ん中のテーブルの上には書類とかがど~んと置いてあって、 
とても家族が集う居間ではない。 
実際私は居間には行かない・・・。窮屈で。 

15袋出して、少しはすっきりしたものの、ソファに座って見回すと 
まだモノに圧倒されてる感じはある。 

地震も多いし、本棚が4つ倒れてきたら、生き埋めだなとおもう。 

兄が結婚して出て行った6畳の部屋も、親の荷物であっという間に 
足の踏み場のない状態になっている。
 
先週は、その部屋から10袋くらいゴミ出して、やっと1.5畳くらいの 
足の踏み場は作った。 

でもまだまその二部屋は強敵だ。 

ぼちぼち、台所を責める予定。ここもすごいよ。
たった3人家族なのに 、食器棚2つの中身はいっぱい。 

冷蔵庫も一度片付けたけど、3分の2は保冷剤だった 
でも既にまたいっぱいになっている。手ごわいよ~ーー; 

自分の部屋はほとんどモノ捨ててすっきりしたけど、 
まだ空間をつくれると思う。がんばろー。

ゆとり空間のある家、目指してます◆


夥しいモノと奮戦・奮闘している光景が、目に浮かびますね^^;


親の縄張りにある<子にとっての>不要物は、 
子にとって、心の中にある「親から知らず植え付けられた観念」の象徴のような・・・

親にとっては有用でも、子にとっては無用な長物<=観念>はいっぱいありますよね。 
でも、子は、それに気がつかず成長し、親の人生を<踏襲>して生きて行く。 

親の縄張りの、不要・不適・不快のモノがに気に障りだしたのは、 
それは、いよいよ自分の人生を生きる時期が来たからこそ。 

親は無意識・無自覚で子を支配していますよね。 
子から、自分のモノを取り除かれたら、 
支配者としての立場が危うくなるように思うのでしょう、きっと。 

そこに激しい抵抗が生じるのは、無理からぬこと。 

すべては、プロセス。 
一時の親とのバトルも、自分がより自分らしく生きるためのプロセス。 

この受講生さんも、こんなふうにな総括を。

◆親のテリトリを片付けるということ、
親の所有物の<不要不適物>が気に障るということは、
やっと親の支配下から 脱却して、
親からの刷り込み(観念)を払拭しようという心の現れ・・・◆

自分が「親の人生」から卒業するためのモノの整理。 
思っている以上に大変なモノの整理。
もしかして不本意なカタチでのモノの整理。

でも、親の下で、息を潜めていた自分が、
いよいよ、強く深い呼吸をし始めた・・・そんな感じかな(^_^)v
                                                                                                           1-29-11

 

「親からの卒業・その1・・・」 「傘が、100本あります、我が家には!
先日、やっと少し整理して。
それでも、まだ60本は、あります!!!」と、うんざりしたご様子の受講生さん。

はたして、何人のご家族なんでしょう?

ご両親とご本人の3人。
他の受講さんも、訝り、解せないご様子。
3人家族で60本の傘・・・ひとりあたま20本・・・どう考えても過剰としか言いようがありませんわ。

でも、これって、驚くにはあたりません。
白状すれば、我が母、、、かつて、東京でひとり暮らしをしていた時。
玄関の傘立てには、17本の傘が詰まってましたね。
父の黒いコウモリ傘、骨の1本折れているパラソル、透明ビニールのコンビニ傘,etc、etc
加えて、下駄箱の中には、折畳傘3本、押入れには、粗品の類・未使用の傘・傘・傘。
結局、30本を超える傘・・・受講生さんのお宅より、密度が高い(..)

不要・不適・不快による取捨選択を・・・なんて注意を喚起しても、この手合いは通用しませんね。
我が親ながら(^^ゞ
まず、だいいちに、彼女の視界に、傘立てがはいっていない、見えていない。
こんなに、傘があるなんて、思ってもいない。

そこで、目の前にすべてを並べて、こんなに必要ないでしょ!?と迫っても、一言、「全部、要る」。
じゃあ、こっちの骨が折れているのは? 「直して使う」とまた一言。
折れたまま最低5年は、この傘立てに滞在してるよ、このコウモリ傘君、
だって5年前に亡くなった父のものなのだから!
いったい何時修理するのかしらん!?

いったいぜんたい、ひとり暮らしで、なんでこんなに傘がいるのよ・・・と、絶叫してみても、
「雨が降った時、お客さんに貸してあげられる」と、のたまう。
来訪者など、ほとんどいないではないか、来るのは娘の私くらいよ!

そうなんです、理論は通用しない。
相手は、だだひたすら、捨てたくない・・・捨てることに潜在意識は同意していないのです。

それよりもなによりも、自分のテリトリーを犯される不快感と抵抗感。
娘といえども、いえ、娘だからこそ、親である私のモノを処分するなんて、許せない。
気づかないところで、主導権争いをしているような・・・

娘である私自身も、見苦しい傘立てのある澱んだ玄関を、
綺麗にしてあげているのにと、片づけを大義名分に振りかざしつつ、
実は、かつて従わざるを得なかった親に、ここぞとばかりの介入をしているような・・・
まるで、鬱憤晴らしをしているような・・・

子の側にも、親の縄張りを取って代わりたい、という潜在的な欲求があるようです。

傘による、モノによる、代理戦争。
住まいの片づけは、モノの断捨離は、
そうそう、意味深長な?、深遠な?見えない世界を浮かびあがらせますね。


さて、恥ずかしながら、我が母との傘騒動を、披露して(^^ゞ

実の親・舅姑の家の夥しいモノの悩み、
そして、それをけっして処分整理しようとしない親世代への不満や怒りを、
とてもとても多くの受講生さんが、口にされます。
不満を話だしたら、何時間でも費やされるくらい^^;

案外、どの家庭でも展開されている光景なんですね、これは。

つづきは、また・・・いっぱいいっぱい、書けそうです。                                                 1-23-11 

「覚悟と触媒・・・米子にて」  初めての山陰、鳥取・米子。
2日間にわたる、9時間の断捨離セミナー。
受講生の皆様、お疲れさまでした、そして、有難うございましたm(__)m

いつも思う、どんな方々が、断捨離セミナーにご参加下さるのかしらと。


・気づいている、いないにかかわらず、人生に変化の時を迎えている人。
飛行機でいえば、格納庫から出て、滑走路にゆっくりと進んでいるような。

・変化を望んでいる人。
意識しているか、いないかは別として。
現状を打ち破って、今をより良く変えたい、変りたい。
ランディング地点は今はさだかではないけれど、飛び立とう・・・そんなふうな。

・変化を恐れない人。
変化は、たしかに怖いのだけど、その恐れを乗り越える力をちゃんと持っている。
これも、その力に気がついてない場合が、多いのだけれど。

一言でいえば、覚悟がある人。
いったん、飛び立てば、雨も風も雷も、、、いつも視界良好とは、かぎりませんものね。
やはり、離陸には、それなりの覚悟と勇気が・・・


断捨離は、手段。
人生のより良い変化を、加速させるためのもの。
断捨離は、目的ではありません。

手段であるのならば、それは、簡単で愉しいほうがいいのだけれど。

断捨離は、環境整備。
人生のより良い変化を加速させるために。
スムーズに離陸するには、機体の点検整備と滑走路の維持管理は不可欠ですものね。

そして、セミナーは、触媒。
より良い変化の加速を、さらに促進させるとっておきの「ご馳走」がセミナーには満載かな(^^♪

なかなか手ごわい徒労感いっぱいのうんざりする片づけ作業を、
やりたくて、やりたくてウズウズ・・・に変えてしまうのが、セミナーの力。

はい、断捨離セミナーには、爽快感があります(^_^)v

米子での受講生さん、ほとんどが、このブログを読んで下さっていた。
なかには、最初からもらざず読んでいた方も。
ご自分なりに、断捨離に取り組み、モノとの関係改善を試みながら、
一番自分に影響しているはずの住まいの片づけに勤しんで。

セミナーでは、徹底的に、モノとの関係を問い直す。
そして、その関係から来る影響を意識化していく。
片づかない、片づかない、と悩みの種であったモノたちを、
気がつかないうちに、いわば敵となっていたモノたちを、味方に変えていく。

住まいにあるモノたちが、みんな応援に回ってくれたのなら、
あなたの離陸&飛行は、間違いなくスムーズなものに(^_^)v


さて、冒頭の思い・・・どんな方々が受講生さんになってくれるのかしら?
これは、実は、こんな方々と出会いたい・・・という私の願い。
そしていつも、そのとおりの方々が、断捨離セミナーにご参加して下さる。
もちろん、米子の受講生さんも。

断捨離は、集合無意識で、つながっていたのですね。

本当に、有り難いこと。
感謝です。
                                               1-15-11                                               

 「あってもよし」「なくてもよし」   生活していくうえでの必需品、これは、ほとんどは持っていますね。
暮らしを愉しむうえでの嗜好品、それは、どのくらいお持ちでしょうか。

必需品と嗜好品、どちらも、あってしかるべき、持ってしかるべきモノたち。

断捨離は、清貧の思想を啓蒙するものでもないし、
節約生活を推し進めるつもりもありませんので(^^ゞ

もちろん、結果として、時間・空間・エネルギーのゆとりは、獲得できますが(^_^)v


問題なのは、必需品と嗜好品の間・・・「あると便利なモノ」

これらを、私たちは、ついつい買い集めてしまいがちだし、
住まいにずっと堆積しているものの中で、かなりの量をしめてます。

この「あると便利なモノ」、それは、実は「無くても困らないモノ」なんですよね!?
この「あると便利なモノ」、人それぞれで異なるし、便利の程度も、無くて困るレベルも様々。

セミナーでは、この「あると便利なモノ」=実は「無くても困らないモノ」を、
書き出すワークをして遊びます。

ひとりの受講生さんが、「ヌーブラ」と書いた。
すると、他の受講生さん、ワタシも、ワタシも、ヌーブラと。
講師の私も、実は、持っていた・・・・(^^ゞ

で、皆で、大笑い。
体型的に、必需品という方もおいでになるでしょうが・・・
各自、自分を振り返ってみればねぇ・・・(..)

思い思いに書き出すうちに、はっとした受講生さん。

「なくても困らないモノ」と、思わず書いたモノが「男」。
男性は、モノではありませんけれど。

彼女は、独身のキャリア・ウーマン。
結婚しなければと、手の指では足らない数ほどお見合いをし、
恋愛も経験したけれど、成就することはなく。

でもそれは、彼女の潜在意識が、結婚という形態を望んでいなかった故のこと。

家族や社会の軋轢で、なんとなく結婚は「必要なモノ」と思い込まされてきただけで、
彼女自身は、未婚の人生でも、なんら困ることなど、ないのでしょうね、きっと。

また、ある方は、「学校」と。
不登校の子供をかかえ、なんとか登校させようと、何年も苦心惨憺してきたけれど、
我が子は、学歴などまったく必要のないところで、生きていける存在なんだと、気がついた。

モノもコトもヒトも、あると便利なのか、無くても困らないのか、人それぞれ。
モノもコトもヒトも、時と場合と人によって、その有効性は、変化する。

そのことに、みずから気がつけば、人は、ずいぶんと気楽になれますね。

「あってもよし」「なくてもよし」・・・それが、断・捨・離の「離」の意味するところです。

                                                    1-8-11  

「いるモノ」と「いらないモノ」と  いらないモノを、いくら持っていても、幸せにはなりませんね!?

それは、モノにかぎらず、人も、行動も。
知人・友人が沢山いても、手帳がスケジュールでびっしりでも、
本当に心許せるお付合いではないのなら、心浮き立つ予定ではないのなら、
かえって、持っていることが、辛くなる。

お金は?
はて、お金は、もういらない!!!と思うほど、持った経験がないので(^^ゞ
ワタシなら、もっといい使い方をするのにな・・・と、びっくりするような買物行動のお金持ちさんを見て、
ひがむことはありますが(..)

必要なことは、「必要なモノ」と「必要のないモノ」との入れ替え。
それは、呼吸のごとく・・・「酸素」と「炭酸ガス」の交換。

呼吸は、生物が生きていくための基本だけど、
社会的にも、精神的にも、生きている私たちには、あらゆるレベルで、いろんなレベルでの、
「要るもの」と「要らないもの」の入れ替えが必要なんですね。


さて、受講生さんから、こんな報告をいただきましたよ。

なかなか進展しなかった離婚問題・・・
なかなかやめられなかったサークル・・・

まつわるモノを片づけたら、一機に解決!
最近は、結果が早い。

別居中、協議離婚の話会いの最中だった受講生さん。
なかなか進展しない協議に、心が落ち着くことがなく。
そこで、思い切って、夫が残していった荷物、夫にまつわるモノすべてを、
一機に片づけた。
要らないモノは処分し、その他諸々は、夫の元に送った。

で、離婚問題が加速的に進展・解決。
ご本人も、不思議なくらいと。
今では、元ご主人と、結婚していた時には考えられないほど、良い関係だとか。

もうやめたい、やめたいと思いながらも、なかなかそれが言い出せなかったサークル活動。
自分の居場所とは思えない、なじめないその場。
でも、自分が辞めたら、活動は立ち行かないのでは、、、煩悶もある。

悩んだあげく、この受講生さんがとった行動。
楽譜を全部、捨てた!!!
そう、音楽関係のサークルだったので、今度の演奏会を最後にと決め、思いを切って、楽譜を処分。
自分を追い込んで、退会宣言ができました。

さて、エピソードをもうひとつ。

なんでも反対する夫。
妻がやろうとすることは、なんだかんだと難癖をつける。
が、どういう訳か、断捨離セミナーに参加するのは反対しなかった。
受講生さん曰く、家がだんだん片づいていくのがわかるので、賛成してくれているのだと。

実は、この妻、夫の断捨離をもくろんでいた!!!
いえいえ、離婚を望んでいるのではありません。

この受講生さん、モノを片づけながら、自分と向かいあい、自分が見えて来た。
35年以上の、なんでも自分の思い通りでないと気がすまない夫との生活。
長い結婚生活で、自分を主張することなど、ついぞ無かった。

モノの取捨選択は、生き方の取捨選択につらなる、間違いなく。

彼女は、「従属的な自分」から「主体的な自分」への入れ替えを、始めたのです。

沈殿していたヘドロが、舞い上がるごとく、
今までの一見平和だった夫婦の間に、思いもよらないかった反抗的な妻が浮かびあがる。
夫には、思いもよらない出来事ではあるけれど、妻にとっては自分を取り戻していくプロセス。

それが、断捨離のせいだとは・・・夫は、気づいていないようです。

                                              1-1-11

あらためて、断捨離とは・・・   このブログを、読んで下さって、有難うございますm(__)m

最近は、【断捨離】という言葉を、いちいち説明しなくても 
よくなりましたわ、お陰様で。 

断捨離セミナーの受講生さんが、どんどん増えて下さって。 
それぞれに、ご自分にふさわしい流儀で、断捨離を実践♪ 

モノとの関係・・・ 
自分との関係・・・ 
他者との関係・・・ 

そして、お金との関係も・・・ 

いろんな関係を、問い直していくプロセスが、断捨離♪ 

いったん断ってみると、 
いったん捨ててみると、 
あらためて気がつくことが、いっぱいあるのですね。 

そして、そこに訪れるのが、【離】の状態。 

渦中にいるより、渦から少し離れると、楽になることって 
ありますよね~ (^_^)v

【断】も、【捨】も、100%の関係否定だけど、
【離】は、いわば、50%&50%のような・・・

モノ・・・あっても、よし。なくても、よし。
コト・・・しても、よし。しなくても、よし。
ヒト・・・いても、よし。いなくても、よし。

そんなふうな状態が、【離】なんですね、きっと。

こだわり、とらわれ、ひっかかりのない状態、それが【離】

だけど、【離】に至るには、
やはり、いったん【断・捨】をしてみないと、
わからないことが、気がつけないことがある。

モノの断捨離 
行動の断捨離 
人間関係の断捨離 
観念の断捨離 

【離】が、【悟り】であるならば、【断・捨】は、そのための【修行】

悟りなんて、言葉にするだけでも、おこがましいけれど、
まずは、モノから始めてみましょうか。

ねっ、皆さん(^_^)v
                                                12-24-10
 

 モノは、自分を映しだす  断捨離は、カタチあるモノとの関係を、ひたすら問い直しながら、
自分を発見、再構築していくプロセス。

手法は、今の自分にとって、不要・不適・不快なモノたちを手放していく・・・

そして、「引き算」の解決法でありながら、とっても、クリエイティブ。

30代女性、独身の受講生さん、この方は、もともと整理片づけ上手。
が、セミナー受講で、さらにその「片づけ魂」にめらめらと火がついて(^^♪

徹底的にモノを絞り込んで、殺風景なほど片づいた家。
それでも、最後に残ったダンボー1箱分の本。
要るのか、要らないのか、捨てたいのか、捨てたくないのか、、、
自分でも判然としない、グレーゾーンの本たち。

結局、半年あまり、押入れの片隅に滞在したまま・・・忘れかけていた。

セミナーを再受講後、急に、そのダンボールが気になり出し、
押入れから引っ張り出してみると、
なんと、その本は、ぜんぶ恋愛小説の類、しかも成就しない恋愛ばかり・・・

勉強家の彼女が、好んで読んでいた社会科学系の大量の本は、あっさり手放せたのに、
なんで、こんな通俗的な本が、埋もれるようにして残っていたのか。

賢明なこの受講生さん、はっと気がついて・・・

今までの、今にいたるまでの、恋愛経験の映し。
決して成就しないであろう相手ばかりと、繰り返してきた恋愛。

自身の潜在意識の中に、結婚という形態を拒否する自分が、知らず住みついていたような・・・

モノは、自分を映し出す。

彼女は、ただちに、このダンボール1箱分の本を、きっぱりと断捨離。
結婚を拒否しない自分へと、ハンドルを切りました。

モノは、知らない自分を映し出す。

物理次元のモノをぼじくり返すということは、自分の潜在意識を探る手立てでもありますね。
まったくもって、モノはあなどれない。
そして、なにより面白い。                                                  12-17-10
 

 モノは自分を映しだす 「この私に、ふさわしい・・・」  断捨離は、収納術でもなく、モノに焦点を合わせるのでもなく、
ひたすら、関係性 を問うという手法で、
モノもコトもヒトもクリエイティブに調え、整理していくプロセス。

先日、わざわざ関西から、セミナーにご参加くださった受講生さんが、こんな感想を。

「さほど、気にもしていなかったモノが、非常に沢山あること」に気づき、
「余計な気を使いながらモノを使っていたこと」に気づき、
「遠慮なく使えるオマケのモノを使うことが、実は私らしいと思い込んでた私」に気づき、

これらすべてが、「とんでもない」と、はたと気づかされた・・・と。

自分にふさわしいものは、粗品として提供された販促グッズの分厚いコップで、
バカラのグラスは、持ってはいるけれど、
それで、自分がワインを嗜むなんて、それこそもったいないし、考えたこともない。
第一、そんな薄いグラスを扱うのは、気を使って大変、お客さまの時だけにしよう・・・

まあ、こんなふうな日常が展開していたのでしょうか。

自分で、自分を、どう扱っているかが、モノとの関係を問い直して、
あらためて見えてくる。

自分にふさわしいのは、オマケのグッズ。
つまりは、「自分にはそれが丁度いい」のだと、「自分はその程度だ」と、
企業ロゴ入りのコップで、アルコールを飲むたびに、
潜在意識に、繰り返し刷り込み、強化する。

自分で、自分を、貶める必要は、ないと・・・
自分で、自分を、もてなしても、いいのだと・・・

この受講生さんが、常に感じつづけていた、自分の中の「中途半端な自信」。
自信があるようで無いような、自信が無いようであるような。
そんな定まらない状態から、抜け出す糸口を、見つけたようです。

帰り際、彼女は、自分の為に、気に入った九谷焼の器をお土産に。
それはそれは、美しい紋様の素敵なお皿を。

「この私にふさわしい・・・」という買物が出来た時、
セルフイメージの枠が、またひとつ取り払われて、大きくなりますね。

なによりです(^^♪
                                             12-10-10                                        


モノは自分を映しだす 「不可解とセルフイメージ」
  これまでの断捨離セミナーの受講生さんの大方の感想。

「我が家は物置と化していたと思いましたが、とんでもない。
帰宅してみれば、物置どころか、実態は、ゴミ置場でした!」

まあ、受講前は、【住まいのモノ置化】という認識もなかった訳で。
そのうち、あらゆるモノが、ゴミに見えてきたりして・・・
片付けのモチベーションは、一機に上がるも、
同時に、あまりのモノの多さにうんざりしたりと・・・

ガラクタIQが、高まったと思えば、納得、当然の現象かと。

さて、前回、登場した受講生さん。
必死に台所を整理し、必要以上の有り余るステンレスのカトラリーを処分。
が、コンビニのお弁当にくっついてきた、
プラスチックのスプーンが捨てられなかった。
絶対着ないだろうと判断した流行遅れの安物ワンピースも、
いったんゴミ袋に入れてはみたものの、また取り出してしまい込む。

質の良い品は、あっさりと処分できるのに、質の劣るモノに未練が残る。

自分でも、なんだか矛盾を感じたらしく、また質問メールが。
「なんなんでしょうね、我ながら不可解、、、」

そうですね、そこに、ご自身のセルフイメージが見てとれる。

高価・高品質は畏れ多くて、自分には、安物がちょうどいい、ふさわしい・・・
自分で自分を貶める癖が、染み付いてしまっているような。

自分とモノとの関係、即、自分と自分自身との関係。

お客様用にとってある使われることのないボーンチャイナのコーヒーカップ。
それを日常に、自分のために普段使いに。

自分で自分を、もてなしてこそ、日々、もてなしてこそ、
自分もモノも生きていきますね。

もったいないから、ふさわしいへと、意識改革です♪                                           12-3-10



モノは自分を映しだす 「戴きモノだから、、、」
  断捨離セミナーの受講生さんから、質問のメールが届いた。

受講後、はりきって、不要・不適・不快なモノ、
関係の終わっていたモノたちを捨てまくった。
が、捨ててしまってから、はっとしたのだそう。

ただただ、ポイと捨ててしまって、良かったのかどうか。

そうです、やはり、手放す時には、お詫びと感謝が必要ですよね。

使い切れなかったモノには、「ごめんなさいm(__)m」
使いき切れたモノには、「有難う(^^♪」

心の中で唱えるだけではなく、ちゃんと声に出すのがポイント。
モノに語りかけてこそ、気持ちの整理も早くつきますね。

そして、質問がもうひとつ。

人に頂いたモノを、リサイクルショップで売ったのだけど、
その代金は、自分のものにしてよいものかどうか・・・

なんて可愛らしい質問なんでしょう。
捨てるより売れて良かった、儲かったと、思う方がほとんどなのに、
下さった方の顔が、ちらついたのですね。

たとえ頂いたものであれ、今現在の所有者は自分。
だから、いかように処分しようと自由、もちろん代金は自分のもの。

とはいえ、後ろめたいのかな、やはり。

自分にとって、不要・不適・不快であるにもかかわらず、
戴きモノだからという理由だけで、処分できないと言う方は、
結構、多い。

だからこそ、気になるのは、人にモノを差し上げる時の思いの方。
なんらかの思いをカタチにして贈り物にするのだけど、
贈った相手が、そのモノに縛られるなんて、あってはならないのでは。
それは、贈り物ではなく、押し付け。

気持ちの表現として、カタチあるモノに置き換えたのであるならば、
その時で、完結していいはず。
気持ちがモノにのり、気持ちが伝わる。
贈ったことに意味があり、頂戴したことに意味がある。
モノに意味はなく、モノは伝達の手段でしかない。

ましてや経年とともに劣化するモノで、相手を縛っていけないと。

埃まみれの千羽鶴が、ぶら下がっているクライアントさんのお宅があった。
ひとつひとつ心のこもった折鶴であることには違いない。
が、病気が快癒した時点で、お役目は果たし終えていますよね。
埃まみれでぶら下げておくくらいなら、きちんと処分したほうが、ずっと心地よい。
もちろん、感謝の言葉とともに。

さて、受講生さんには、つぎのようにアドバイス。

頂戴したことには、充分の感謝を。
代金は、おくすることなく頂いて大丈夫。
でも、気になるのであれば、一部を募金にどうど。

さまざまに分かち合ってこそ、下さった方の思いが生きますね。
                                               11-25-10

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      著者 やましたひでこ

 断捨離の目指すところは、日々のごきげん。
そのごきげんは、自らの、先送りすることの無い小さな選択決断の繰り返しから・・・そんなふうに思いませんか?

ごきげんの輪が、ラスベガスに、さらに広がらんことを。 
そして、ひとりでも多くの方が、ごきげんであらんことを。


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