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★「断捨離通信 3」 だんしゃり Danshari   家の中でため息をついてませんか?            
断捨離1断捨離2  断捨離4

『新・片づけ術 断捨離』  

                                       
                                                                        
「断捨離」(だんしゃり)
とは、ヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」をもとに生まれた言葉。
断=入ってくる要らないモノを断つ
捨=家にはびこるガラクタを捨てる
離=モノへの執着から離れ、ゆとりある”自在”の空間にいる私

つまり、「家のガラクタを片づけることで、心のガラクタをも整理して、人生をご機嫌へと入れ替える方法」。
「そうじ」をしたり、モノを捨てたりすると、なぜか心も軽くなる、というのは誰もが経験していること。 
「断捨離」とは、皆が漠然としている「そうじ」や「片づけ」を再定義し、自分の「内在智」(心や体を快方向に導くセンサー)を磨くための行動へと落とし込んだメソッドです。 
結果、自分の心をご機嫌に、ついでに運気も向上させてしまおうという方法論でもあります。 義務感を伴う「片づけ」から、自分の内在智や運気を磨く「断捨離」へ。

「捨の章」  

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                       「出口の番人」 

前回は、モノの入り口のお話。
そして、今回は、モノの出口について。

セミナーに参加して下さった受講生さんの感想。

この受講生さん、ちょうど新しい家の購入計画中でした。
モノが溢れる手狭な今の住まいから、もっと大きい家に引っ越したいと。
それで、週末は、モデルハウス巡り。
最近の住宅は、収納スペースが充実していて、それは魅力的ですよね。

でも、今回のセミナーで、自分や家族のためにではなく、
モノのために家を買おうとしていたことに気がついたとか。
家が小さいのではなく、箪笥の谷間で、きゅうくつに狭く暮らしていたのだと。

器<家>を大きくしなくても、中味<モノ>を絞り込みさえすれば、
今の住まいのままで充分、ゆとりある空間が取り戻せる。

モノを絞り込むプロセス、余分なモノ、不要・不適なモノを取り除くプロセス、
関係が終わったモノを手放すプロセス、、、
が、出口の水門には、そこに立ちはだかる番人がいるのですよ(..)

番人は、自分自身の中にある 執着 と 後ろめたさ

いざ、捨てようとすると、
もったいない、まだ使える、、、
いつかまた、そのうちまた、痩せたら着られるかも、、、
だいいち高かったし、このスーツ、、、
戴きモノだし、捨てるのは悪い、くれた人に、、、
思い出もあるし、、、
時間ができたら、読み直そうこの本棚の本、、、

モノのために、家を買うほうが、もっともったいない。
なによりも、莫大なお金がいりますものね(^^ゞ

写真は、処分が 先送り になったモノたちに、
いつの間にのっとられた、あるお宅の子供部屋。

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5-13-10

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                                              「水門の番人」   

洪水のアマゾン川、、、実際には見たことは無いけれど。

「工場見学」と銘打って、何を生産しているのか、あてる問題が出される、
TVのクイズ番組がある。
生産過程の複雑怪奇さと超スピードにも驚かされるが、
もっとびっくりするのは、ビー玉とか鉛筆、蚊取り線香に卓球のラケットとか、
ええっ、そんなに途方も無い数・量を、毎日、毎日生産しているの?!

やはりアマゾン川だわ、上流でそれだけ生産しているわけだから(..)

住まいには、それほど夥しいモノがなだれ込む恐れがある、心しないと。

勝手にやって来るにモノ・・・中元・歳暮の必要のない品。欲しくもないギフト品。
ダイレクトメールも毎日破かないと溜まるいっぽう。
勝手について来るモノ・・・粗品におまけ。ビールを買えば頑丈なグラスが付いて来た。
通販だって、一度買えば、後から後からカタログが郵便受けに。
そのカタログを広げてみれば、みんな必要なモノ・欲しかった品に思えてくるし。

割安感につい・・・洋服のバーゲンは愉しみ、愉しみ。本日の特売も。
思わず選んだ安くてでっかいマヨネーズ、はたして使い切れるのかしらん、
ひとり暮らしだったとしたら。
無いと不安で・・・スーパーに行く度に掴んでくるティッシュぺーパーのパック。
スットクも消費にみあった適量があるはずなのに。

モノの入り口・水門を、鉄壁の守りで固めるには、
あまりに多いモノと刺激的な誘惑・情報の量。

う~ん、寝ぼけていては、水門の番人は勤まりませんわ(^^ゞ

厳選して、モノを取り込むには、困難がいっぱいなんですね、
社会と自分と家族の中に。

写真は、あるお宅の「勝手に入ってきた」粗品の筆記用具の一部。
そして、別のお宅の「いつの間にかなだれ込んでいた」余分な食器の一部。

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                                                                              5-9-10


                                     「捨てたら、喜ぶ?!」

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 この住まい、この台所、お疲れ状態のこの空間に、気を取り戻してあげたいですね。

住まい=自分と捉えるならば、自分を喜ばすために、何を、どれだけ、捨てたらよいのだろう?

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このお宅、典型的な危機的状況下。

あっという間に、キッチンが機能しなくなり、モノ置場を通り越して、
不快どころか、苦・悩みの元凶になってしまったこの空間。

増え続けるモノにあわせて収納たっぶりのキッチンにリフォームしたはずなのに、
数年も経ずにこのとおり。
洪水のアマゾン川のごとく押し寄せる夥しいモノたちに、
どんなに収納で防戦しようとしても、太刀打ちできませんね。

という訳で、まず捨てる、捨てる、捨てる。
                                                                   元気を取り戻すために、自分を喜ばせるために、ひたすら捨てる。 

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数年来、手付かずだったモノが、数時間の頑張りで、ゴミ袋の中へ。

空いたスペースは、一機に、元気と気持ちよさ、喜びに満たされて。 

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そして、一番喜んだのは、主婦ならぬご主人の方。
なぜならこの奥さん、ご主人に喜んで貰いたくて、私に応援を依頼したのですよ。 



カウンター越しに、ニューリアル<?>なった台所を、眺めるご主人。

せっせと、重たいゴミ袋を運び出して下さったご主人。
ご協力、有難うございましたm(__)m                                
                                                                                                                                     5-6-10


                                               「本能と意識と実際と」

物流という川の流れ

このブログのテーマは、
取り戻そう、モノに与えてしまった、時間・空間・エネルギー。

住まいが、いつのまにかモノに占拠され、
ひしめくモノに煩わされながら暮らしているのが私たちの日々。

モノを川の流れにたとえてみれば、
小さな小川、そのさらさらとした流れにのってやってくるモノたちで、
生きていくには十分のように思う。

そもそも収納術なるものが、ブームとなり、持て囃されること自体が摩訶不思議。
かく言う私のコンサルタント業も無用な仕事ですね(^^ゞ

だから、意識の上では、モノがありすぎる世の中だと感じているはず。
一級河川にのってモノが沢山やってくると。

でもでも実際は、揚子江か黄河かアマゾン川か、、しかも洪水状態で。

本能と意識と実際、その三つのギャップ。

もったいない、蓄えておこうという本能が働きつつ、
でも、沢山モノはあるからと意識して構えてはみたものの、
洪水のごとく流れ込んでくるモノに抗う術もなく、、、
それが、私たちの暮らし。

住まいは、あっという間に、モノ置き場か、ゴミステーションになってしまう。

実際のところ、収納だ、片づけだと、というレベルでは間にあわないほど、
住まいはそれほど危機的状況だと。

心してかからねば、、、                                                                                                            

                                                                                                                                                5-2-10

                                   「ほんのいっとき、立ち寄って、、、」

 このコラムのサブ・タイトルは、「何をそんなに収納するのだろう、、、」

先日、住宅会社の経営者で一級建築士でもある方とお話する機会が。

一時、大容量の収納スペースが、設計に要求されたけれど
最近の若い方は、必要に応じた家具を買い求めることを好み、
以前のように、あらかじめ収納を設備に組み込むことは減ってきたと。

収納場所がたっぷりあるために、かえってモノたちが、
家中あふれかえっているお宅を、それこそ、たくさん目にしてきた。
収納スペースだけでは、収納術だけでは、住まいの混乱は解決しないと、
とつくづく思う。

自分の経験を振り返ってみても、
あけくれ収納用品を買い込んでは、モノを詰め込み、
押入れにしまってはみたものの、一度も取り出すこともなく、
そのまま保存・放置・忘却したものが、いかに多くあったことか。

収納は、一時の整頓でしかなかった、私の場合(..)

今、断捨離でモノとの関係を問い直す作業をし、
分類・分別・選択・厳選と、、、繰り返し、モノを取捨選択していくと、
所有というカタチでの、モノとの付き合い方は、モノとの関係は、
どんどんと少なくなっていく。

すると、収納用品さえ無用な長物となり、ゴミに(^^ゞ

モノは、所有するのではなく、今、役立つように、自分が使いこなす。
今を時間軸に、自分を重要軸に。

モノは使ってこそ。
モノは、今、必要とされるところへ。

さらさらと、流れにのってやって来たモノたちが、
ほんのいっとき立ち寄って、また去って行く。
抱えこむのではなく、溜め込むわけでもなく。

そんなふうに、モノとお付合いできれば、
収納に、手間ひま、お金をかける必要はなくなりますね。

そして、住まいの混乱、心の混乱も、ずっとずっと楽になるはず。             
                                                                                                                                             4-29-10

                                                     「人生、モノ置き場暮らし?」 

当初は、主婦向けの整理術セミナーであった断捨離セミナーも、
最近は、若い方々が多く参加して下さるようになった。
勿論、男性も増えた。

20代の若い男性が、食器棚の整理の仕方や下着のたたみ方を、
習いに来るわけではありませんわ、やはり(^^ゞ

彼らが、望んでいるのは、自分探し。
自己探求としての断捨離。

断捨離流の整理術は、
収納法でもなく、モノに焦点をあてるのでもなく、
自分とモノとの関係性をひたすら問う手法。
結果、おのずと、自分と自分自身との関係が明らかになってくる。

身の回りにあるモノたちが、自分の住空間にどのようなカタチで、
存在しているのか、まず気がつくところからスタート。

たいていは、モノが主役になっている。
自分にとっての要・不要ではなく、
ましてや、自分にふさわしいなど云々することなどなく、
モノが日常的に堆積しているのが、私たちの住まい。

それは、住まいと呼べるはずもなく、
モノ置場か、はたまたゴミ置場か。

そう、自分は、モノ置き暮らしがふさわしい人生なのか、
ゴミ置き場暮らしがふさわしい人生なのか、
問いかけるところから断捨離はスタート。

この問いで、ほとんどの方が、
もう着もしない洋服がギチギチに詰まった箪笥の谷間で、
自分が暮らしていたことに気づく(..)
あるいは、二度と目を通すことのない雑誌や本の山の中で、
息をしていたことにも。

モノに取って代わられた住まい。
モノに主役の座を明け渡した自分。
そして、そのことに慣れきって、気づきもしなかった自分。

いつの間にかモノに与えてしまった、時間と空間とエネルギーを、
自分に取り戻していくのが断捨離のプロセス。

ゴミ置場やモノ置き暮らしを卒業して、
住まいをさらに 自在空間 へと、整えていくのが断捨離行法。

その過程で、必ず、自分の核・コアが、見つかりますね。    
                                                                                                                                           4-25-10 

                             「家も、人も、みんなモノで疲れているんだな」 

言うまでもないのかも知れないけれど、
いいえ、なんと説明すればよいのかわからないけれど、
私の仕事は、クラターコンサルタント。

クラターとは、英語で、Clutterのこと。

英和辞典によると、

「名詞」・・・1 ガラクタ 散乱したモノ
       2 混乱<状態> 紛糾

「動詞」・・・<場所を>(邪魔なモノで)取り散らかす
       <モノが><場所に>散らかる
       <心を>乱す

辞書をひいて、あらためて思う。
モノとそのモノの有り様、そして、心の乱れ、混乱、、、まさにひとつ。

最近は、個人のお宅に呼ばれることが増えた。
モノの混乱と心の混乱を同時にコンサルタントするために。
この仕事をはじめた当初は、混乱の自宅を、私つまり他人にさらすのは、
すごい抵抗があったように思う。
だから、もっぱらセミナー。

が、今は、頻繁にご依頼を頂戴する。
他人の目に、自分の家そして自身がどう映ろうが、
そんなことを気にしていられないほど、住まいの混乱は進行。
ひとりではどうにも収拾がつかず、助けての悲鳴に近い依頼。

本来、モノは私たちの生活を助けてくれるはずなのに。
便利に豊かにしてくれるはずなのに。

大量のモノは 邪魔 を通り越して、私たちを苦しめる存在になりはてて。

あけくれ無自覚にモノを取り込む暮らし。
無意識のうちに溜め込む暮らし。

気づかぬうちに堆積した夥しいモノたちが、
気づかぬうちに、私たちの家も心も疲れさせているのですね。

というより、邪魔とは、邪悪の 邪 と、悪魔の 魔 だと気がついた(..)                    
                                                                                                                                              4-22-10

                                          「ようこそ、ようこそ」 

 さて、今回は断捨離セミナー受講生さんのお話から。

夫の妹、小姑さんが来訪。
よりによって平日の午前中、久しぶりにのんびりしているところに突然あらわれて。
いくら実家とはいえ、ズカズカと上がりこんで、なんて非常識な。
来るなら来るで前もって電話をくれるなりするべきでしょうに。
怒りを通り越して、憎しみすら覚えた、、、(..)

この状況、想像できますか?
実は、家の中が、自分でもうんざりするほど散らかっていたのですね。
だから、突然の訪問が許せなかった。
住まいの混乱を、自分で自分を責めていたから
他人にも責められるのではないかと思ってしまう。
憎しみは、無意識の防衛反応かもしれません。

この受講生さんも、それにちゃんと気がつかれて。
もし、あの時、家の中がスッキリしていたら、
きっと、義妹さんを、よく来てくれたと歓待したでしょうと。

同じ状況でも、住まい=自分 が調っていれば、まったく違う反応になるのですね。

おなじ例をもうひとつ。
家を新築して数ヶ月、引っ越したばかりのあの美しい住まいは何処へやら。
収納も以前の家とは比べ物のないほどたっぷりとったはずなのに。
そこへ、夫の母、お姑さんが新居の見学においでになった。
しかも、ご自分の姉妹をひきつれて。

なぜもっと早くに出来たばかりの時に、家を見に来てくれなかったのかと、恨んだのだとか。

何時でも、どなたでも、ウエルカムの住まい。
ようこそ、ようこそと出迎えられる暮らし。

それは、無用な悪感情をも断捨離してくれますね(^_^)v

さて、おまけにもうひとつ。
玄関先から一歩も人を招き入れることすら出来ない混乱・混沌した住まい。
ここ数年来、お客さまなど、友人知人を含め、呼んだことなどない。
ところが、カップボードには、来客用の素敵なコーヒーカップがぎっしりと。

本当は大切な人を家に招きたかったのだと、自分の本心に気がついた瞬間。

頑張れ、住まいの断捨離、こころの断捨離♪      
                                                                                                                                              4-18-10

                                「片付け、整頓、それともそうじ?」 

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よく一口に掃除と言うけれど、その内容は随分と違いますよね。

モノの分類・取捨選択が、片づけ。
見た目をより美しくが、整頓。
掃く、拭く、磨くが、おそうじ。

それこそ、使う脳の回路も異なるのではないかと思うくらい。

片づけ下手と称するセミナーの受講生さんに、よくよく話を伺ってみると、
掃除機をかけるのは大好きで。
でも、押入れは、いっぱいのモノまたモノでギュウギュウ。
扉を開けるとモノが降ってくるのだそうな^^;

掃除派と片づけ派に、大きく分かれますね。

もっとも、溢れるモノで、床が見えず、ここ何年も掃除機を出したことがない
という方も、けっこうおいでになる。

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この状態で、掃除、つまり、掃く、拭く、磨くまでたどり着くには、
かなりのエネルギーが。
掃除以前の段階ですよね。
なにより片づけでさえ、ひとりでするには、途中でめげる可能性大。

家も人も、モノまたモノで、みんな疲れきっているのですね。

だから、まずモノ減らし。
分別、そして 分類 、再度、選択 し直し 厳選 へ。

モノを減らせば減らすほど、整頓も掃除もずっと楽になる。




どうですか、元気が戻ってませんか?

疲労回復ドリンク剤を飲む前に、断捨離という「引き算の解決法」を、
どうぞ、お試し下さいますように(^^♪   

                                                                                                                                             4-15-10


                                         「食品庫が怖い(..) 」

 もうひとりのクライアントさんのお話。

「食品庫をなんとかして~」と、それは救助コールSOSのような依頼。
台所に隣接する3畳ほどのスペースの食品庫。
戸を開けて入るのに恐怖を覚えるほどの有様だとか。
というより身体が入らない。入る隙間がないらしい。

食品庫が怖い~世の中、いろいろな恐怖の対象があるものなんだな^^;
たいていの混乱状態に慣れているとはいえ、覚悟を決めて出動、否、訪問。

おっしゃるとおり、うず高くしかも乱雑に放り込まれた食品、
なべ、フライパンなどの調理器具などなど。
引き戸だから、かろうじて開けることは出来たけれど、すぐ閉めたくなった。

見なかったことにしよう、、、
あれは、なかった光景なのだ、、、

が、プロが、ひるむわけにはいきますまい。
涼しい顔をつくりあげて、だいじょうぶですよ、、、と言ってみる(^_^;)

それでも、こうなった原因はすぐに理解できた。
この方、ご自分の手料理でもてなすのが大好きな方なんだと感じた。
ご主人が、息子さんたちが、連れてくる大勢の友人・知人に、
いつでも、それこそ深夜でも、すぐに美味しいお料理をふんだんに振舞う、
そんな方。

なぜなら、そこにある食品のほとんどが、さまざまな素材系の、しかも、
めずらしい食材で、保存のきくものばかりだったから。
鍋も特大サイズばかりだし。

「お客さまをもてなすのがお好きなんですね♪」
「もてなすというより振舞うという感じですね♪」

そんな言葉をなげかけると、顔がいっきにほころんだ。
大勢のお客さまをお呼びしての自宅宴会は、頻繁に愉しまれたとのこと。
そうなんですね、かつては。
だから、これだけ大量の食材をつねにスットクしておく必要があった、かつては。

が、今は違う。
息子たちは、県外に行き、夫婦ふたりの生活。
夫もリタイアして、以前のような仕事上のお客様も多くない。
なによりご自身も、身内の不幸など悲しい体験を重ね体調が思わしくない。

たくさんの食材の出番は、いつのまにかなくなって。
だのに、以前のままの買い物行動に加え、お取り寄せ、頂き物など、
入ってくるモノは今も夥しく、出て行くモノはなし、、、
差引き計算すると、結果、この有様と。

生活、暮らしの変化に、人生の変化に、対応しきれずにいた自分。
そのことにさえ気がつけば、断捨離のモチベーションはすぐにあがる。
自分を責めることなどなにもないのだ。

賞味期限切れの食品の山を、数日かけて取り除き、すっきりさせた食品庫。
恐ろしかった食品庫に、引き戸の隙間から手を入れるだけの食品庫に、
それからは、一日、何度でも、入ったり出たり。

本当にお好きなんです、手料理を大勢に振舞うことが。
こころの奥で、それをいつも望んでいたから、
あれもこれもご馳走したいといつも思っていたから、
買い物行動は変わらなかったのですね、きっと。

断捨離で身も心も軽くなり自宅宴会も復活、規模は小さくなったけれど。
そのことをちゃんと意識して、買い物も適量に。

以前のように、食品が痞えることはなくなりました(^^♪                    
                                                                                                                                              4-11-10 

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神戸より、断捨離オープンハウス見学ツアーの皆様がご来訪♪

わが拙宅に
ようこそ、ようこそ。







少し不思議な光景のような気も。
なにかしら鑑賞に堪える作品を見学にいらしたのではなく、
モノが無い家を探訪するのが目的のツアー。
カタチあるものを見るのではなく、状態 を見学にいらしたのですね。

皆様、熱心に我が家を探検。
スカスカのクローゼット、ハラハラとしか道具がないキッチンの引き出しに
驚嘆の声。

もともと、片づけ整理ベタ、収納ベタが編み出した断捨離流整理術。
そもそもモノがあるから片づかない悩みが生じるのよ!
だったら、モノなどなければいいのよ(^^ゞ
と、きわめてシンプルな、否、短絡的な発想が原点~恐縮m(__)m

とはいえ、自分とモノとの関係を問い直していくプロセスに、
大きく深い気づきが様々あることに、今でもなお驚かされることしきり。

そのことを少しでも、皆様と共有することが、願いであり断捨離の喜び。

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セミナーにも熱心に耳を傾けて下さって感謝でいっぱい。

でも、反省すべきことは多々(..)
説明不足だったこと、補足しなければならないこと、
これからまたブログにUPしていきますね。

どうぞ、またお読み下さいますよに(^^)/~~~                                                                                                                                   4-8-09


                                             「出入り口の原理」 

「出入り口」とは言うけれど、「入り出口」とは言わない。
「呼吸」は 呼 つまり 吐く のが先で、「吸呼」とは言わない。

吐きさえするば、自ずと吸える。
こんなことも、若い頃、ヨガで教えられた。

流れをスムーズにするためには、
電車だって降りる人が先。そうしないと誰も乗れない^^;

何事も、「捨」つまり 出す・手放す ことが先なんですね。

暮らしも住まいも一緒。

今ある不要・不適なものを見極めて、「捨」=取り除くことが先。

分別、分類、選択、厳選 のステップを繰り返し、
取り除いた結果、残ったモノたちとの暮らし。

そんな暮らしが実現できたら、入ってくるモノは自ずと厳選されたレベルに。
なぜなら、モノに対する意識が、確実に変わるから。

漫然となんとなく、モノと向かい合ってた暮らしから、
今の自分に ふさわしい と思えるモノとの暮らしにシフトした時、
モノを取り込む時の妥協が無くなる。

これで、いいか、、、ではなく、これでなければ、、、に。

手放さなくては、入ってこない。
手放したら、入ってくる。
そして、その時入ってくるものは、手放した時の意識レベルが引き寄せたもの。

目指すは、厳選された少ないモノ 少ないもので豊かな暮らし ですね(^^♪               
                                                                                                                                                4-4-10 

                                                           「モノを減らすと」 

「モノを減らすと強くなる」
「モノがなくても困らない自分を発見するのは、快です」

ある受講生さんの感想。

不要で不適なモノを具体的に取り除いていく中、
「人生に、いろんな変化が出てきた♪」という受講生さんの話をきくのが、
私は大好き(^_^)v

モノの「取り除き」があって、人生が変化するのか、または、その逆なのか、
どっちが先かわからない、でも間違いなくリンクしている。
今の自分を卒業して、変わらなきゃ、、、という意識が芽生えた時、
あけくれモノをほじくり出して捨てたくなるのか、
捨てるという具体的な行動をしていると、変わらなくては、卒業しなくては、
という潜在していた欲求が一気に噴出すのか。

断捨離セミナーに参加して下さる方々もそう。
人生に変化を求めていたから「断捨離」に出会ったのか、
受講するうちに、人生に変化を求めていた自分に気がついたのか。

意識していなかった無意識の「変化の欲求」に、
断捨離したら、自ずと気がつかされて。
意識したとたん、さらに断捨離に拍車がかかり、
断捨離に加速度がついて、変化がさらに大きくより劇的に。

最近の受講生さん、
するとなったら、する。やるとなったら、やる。
熱心に、熱心に断捨離に邁進するので、
私も、寝ぼけては居られません(^^ゞ 

                                                                                                                                         04-01-10

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      著者 やましたひでこ

 断捨離の目指すところは、日々のごきげん。
そのごきげんは、自らの、先送りすることの無い小さな選択決断の繰り返しから・・・そんなふうに思いませんか?

ごきげんの輪が、ラスベガスに、さらに広がらんことを。 
そして、ひとりでも多くの方が、ごきげんであらんことを。


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